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100万円(百万円)借りたい!普通のサラリーマン・OLがキャッシング

百万円

私は、生まれ育った地元の中小企業に勤務する、いわゆる「普通のOL」です。そんな私が急遽100万円のキャッシングをしなければいけなくなりました。

別に浪費とかショッピングをし過ぎたわけではなく、父親が自営業で会社を経営していて、その資金繰りのために急遽100万円が必要になったのです。ここでは、そんな私のキャッシングの体験談をお話しします。

父親が借金を必要とした理由

まず、私の父親がどのような経緯で借り入れを必要としたか…ということから書きましょう。といっても自営業者の資金繰りが常に苦しいということは、普通のOLさんでも、サラリーマンの方でもよく知っていると思うので、大体想像はつくと思いますが…。

私の父親が経営していたのは、印刷会社でした。印刷業は私がカードローンでお金を借りた頃には特に経営が厳しくなっていたものです。

理由は言うまでもなく「家庭用プリンタの普及」です。もう年賀状など自宅で印刷するのが当たり前になりましたし、その他、事業用の印刷物でもほとんどのものは「自宅用・業務用のプリンタ」で、素人の方でも簡単にできるようになってしまいました。

今で言う3Dプリンタのようなもの

上のような説明だと「そんなこと当たり前だろ。あんたの親父が時代遅れ過ぎたんだろ」と言われるかも知れませんが、「今で言う3Dプリンタの普及」と思えば、大きな変化だったことは実感していただけると思います。

3Dプリンタがだいぶ安くなった今でも「欲しいフィギュアとか部品があったら、自分で3Dプリンタで作る」という人は、なかなかいないと思います。自分で作ろうと思っても、ネット上のそういうサービスなどに発注をかける人がほとんどでしょう。

父親の印刷会社も、ある時期まではそれで持っていたのです。しかし、想像以上にプリンタの普及が早く、変化について行けなかったわけですね。現代の部品工場とかメーカーさんも同じことになると思います。遅かれ早かれ。

…と、父親の事情の説明が長くなりましたが、サラリーマン・OLの親御さんしか見ていない方だと、こういう現場の苦労はあまり実感できないかと思ったので、説明させていただきました。借り入れの話に戻りましょう。

手形の不渡りを防ぐため、100万円を借り入れ

小規模な会社経営者・法人代表者だったら、よく「手形」を振り出しています。手形はある意味「商品券」のようなものです。

  • これは「山田印刷」の商品券である
  • 山田印刷に持っていけば、50万円と換金してもらえる
  • 私が持っていってもいいが、面倒なので、あんた「45万円で買わんか?

わかりやすく書くと、このように市場でやり取りされているわけですね。この「面倒」と言った人は、下のような理由で手形を売りに出しているわけです。

  • 山田印刷はお金がないことを知っている
  • お金はあっても、怖い社長なので回収が面倒
  • 怖くはないが、付き合いがあって請求がしにくい
  • 回収はできるが時間がかかる。事情があって、今すぐ現金が必要

などなど。手形を売り出す側にもいろいろな事情があるのですが、何はともあれ、このような理由で「50万円の手形」が「45万円」とか、あるいは「10万円」というような破格で売りに出されることも多いわけです。

何はともあれ、50万円の手形の持ち主は、それを銀行に持っていきます。そして「50万円と変えてくれんか。山田印刷が、あんたの銀行の当座預金に50万円預けているやろ」と言うわけです。

当座預金に残高がないと、交換できない

この時、その銀行の当座預金(私の父親の会社の口座ですね)に残高があれば、銀行は手形の交換ができます。「はいはい。山田印刷さんの手形ですね。50万円と交換いたします」という風です。

しかし、資金繰りが厳しくて当座預金の残高がなかった場合、「申し訳ありませんが、山田印刷さんは残高が不足しておられるので、当行では交換致しかねます」となるのです。これは銀行が悪いわけではないので、手形の持ち主は山田印刷に行って怒るわけですね。

こうなることを「手形の不渡り」といいます。基本的に手形の不渡りと倒産はイコールです。不渡りを出すと一気に信用をなくして、取引先も金融機関も離れていきますから。

なので、何が何でも不渡りを出さないために、手形の決済日(持ち主が銀行に持ち込んでいい日)までに、当座預金に残高をきっちり入れておかないといけないのです。その金額が私の父の場合「100万円」で、そのお金がなかったので、私が消費者金融でキャッシングをして用立てたということですね。

OLの私の方が申し込みやすかった

「なぜ、父親本人が借りなかったのか?」と思われる方も多いでしょう。もちろん父親も方々からお金を借りていました(本来、借り入れに頼らず資金調達できたら一番よかったのですが…)。

そうして方々から借金をして、ようやく残高が100万円までになったということですね。その不足分だけ、私がキャッシングでお金を借りたということです。

審査を受けてわかったのは、年収を考慮すると、明らかに普通のOLの私の方が、会社代表者である父親よりも信用度(クレジットスコア)が高かったということです。年収は断然父親の方が多かったのですが、自営業は波があるものですし、年収といっても昨年度の年収ですから、今年の経営も安定している…とは限らないわけですね。

勤続10年だったので、100万円借りられた

「普通のOLの女性で、100万円も借りられるのか?」と思われるかも知れませんが、私は「50万円×2件」で、スピーディーに100万円借りることができました。私がそれだけの高額キャッシングをすぐにできたのは、下のような理由だと思われます。

  • 高校卒業後、ずっと同じ会社で10年勤続していた
  • 過去にキャッシングをしたことがなかった
  • クレジットカードは利用していたが、一度も遅延・延滞がなかった
  • クレジットカードのショッピング枠も少額で2枚だけだった
  • 勤務先が、地味だが堅実な会社だった

このような理由です。要は総合的に「まじめで安定している」生活を送っていたわけですね。

私自身は、外見の地味さもあってこういう人生を少々退屈に感じていたし、時によっては卑下もしていたのですが、いざキャッシングの審査を受けてみると「こういう人生が評価されることも多いのだな」と思ったものです。

借金はあまりしたくありませんでしたが、一気に100万円借りられた時は、これまで真面目に堅実に生きてきたことを、消費者金融の方々から評価してもらえたような気がして、少しうれしかったのを覚えています。

(多重債務者・借入超過者の方々が、審査に落ちると「自分を否定されたような気分になる」というのが、何となくわかった気がしました)

100万円の札束は重かった

こうして2件の消費者金融から50万円ずつ借りて、合計100万円の札束を父親の元に持っていきました。この時の札束の重みは忘れません。

これまでも自分の貯金をわざと下ろして、100万円とか200万円とか、札束の感触を楽しんでいたことは、実はありました。しかし、そういう「うまく行っている時」の100万円と、この100万円の重みはまったく違いましたね。「これは借金なんだ」と思うと、正直少し暗い重さがありました。

(貯金があったなら、父親の借り入れもフォローできたのでは?と思われるかも知れませんが、実は貯金は兄弟のトラブルで使ってしまったのです。あまり詳しく書くと特定されてしまうので書けませんが)

何はともあれ、そうした気が重くなる重さではありましたが、逆にその重みが私にあらためて「お金の大切さ」を」教えてくれたと思います。

決してお金を軽蔑してはならない

日本人はなぜかお金を軽蔑し、お金を稼ぐ人、お金を稼ぐ仕事を軽蔑しますが、私は「それは、心の底から間違っている」と確信しました。

  • お金があれば、嫌な仕事をしなくていい
  • お金があれば、大事な人を守ることができる
  • お金があれば、小さな失敗にくよくよしない

というように、お金があるということはいい事づくしなのです。もともとそう思っていましたが、父親のためのキャッシングをきっかけに、あらためてそう思うようになりました。

お金が教えてくれるもの

上のように書くと「守銭奴」とか「お金より大事なものがある」と言うような批判も受けるかも知れません。しかし、私は、「お金より大事なもの」は、「お金を稼ぐことによって」身につくと思っています。具体的には下のようなことが身につくでしょう。

  • ストレスに耐える力
  • 健康を管理する力
  • 節約する力
  • 約束を守る力
  • 物を大事にする心

などなど。「お金を稼ぐ仕事を真剣にやる」ことによって身につく素養は、数え切れないほどです。

私は、愛とか友情とか、ポエムのような言葉を連発する人は信用できません。そういう感情は確かに大事なものですが、それは「厳しさ」の中にあると思っています。

人間は口ではいくらでもお世辞をいえます。しかし、実際にその作品とか、その人にお金を払うかといったら、途端にシビアになります。お金をもらえるということは、相手がお世辞ではなく、自分の仕事や存在に、一定の価値を感じてくれたということなのです。お金はもっとも正直なのです。嘘や綺麗事がないのです。

「私は何のために生きているのか?」という、ありきたりな禅問答を何度もするより、その答えはお金に聞いた方がいいでしょう。ドラッカーが「表の風に吹かれよ」と口癖のように言っていたそうですが、これも同じ意味でしょう。何が正しいかは、自分ではなく他人が知っているということです。だから外に出て、厳しい冷たい外気に当たれ、ということです。

キャッシングをして学んだこと

上のようなことを身をもって学ぶことができて、私は本当によかったと思っています。父親にも感謝しています。困った時に正直に話してくれて私を頼ってくれたことは、嬉しかったです。

作家の曽野綾子さんが、「親が子供に情けない姿を見せることは、決して悪い教育ではない。どんな姿であっても、親が『生身の姿』を見せることが、子供にとって一番の教育になるのだ」ということを『悪から学ぶ教育、魂を救う教育』というようなタイトルの書籍で書かれていました。まったくその通りだと、父親のためにキャッシングをした時、思いました。

人間の生身の姿というのは、とてもいいものだと思います。たとえていうなら、ナマの食材で作った料理は、それだけ腐りやすいです。しかし、当然ながら美味しいのは生の料理です。

一方、保存料などの添加物まみれのパンやシリアルなどの食品は、一切腐ることがありません。悪臭を放つことはなく、いい香りだけ放っているでしょう。しかし、こうした食べ物が「生きているか」といったら生きてはいないでしょう。

生きるということは、悪臭を放つことだと思っています。その悪臭の中にこそ、栄養があり、人間味があると思っています。そういうことを借金の経験を通して学ぶことができたのは、とても良かったと思っています。

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